降籏英捷さん、無事、到着。

引き続きのご支援をお願いします

 ご支援ありがとうございました
降籏英捷さん、3月19日に無事、成田空港到着しました。
支援を呼び掛けて以来、多くの方々からの募金、
あるいは有形無形のご支援のおかげで、
降籏さん一家救出が実現しました。
心より感謝いたします。

なお募金につきましては、これまでウクライナから脱出するための渡航と親族のもとにたどり着くための費用として皆様に支援を呼びかけておりました。このため当初の計画では、協会は旭川の親族宅に到着した段階で募金を終了する予定でおりました。しかし、いざ日本に到着してみると、住むところも生活についても見通しが全く立たない状態であることがわかりました。現在(3月22日時点)で受けている公的支援は、英捷さんと介護人1名の一時帰国費用(渡航費・2週間分の滞在費)のみとなっています。すでに政府も関係自治体も、ウクライナ避難民に対しての支援については表明しており、検討を始めていますので、近いうちに公的支援が届くことを期待しております。しかしそれまでの当座の生活費の支援は必要と判断しました。皆様には、彼らの日本への避難を確実なものにするために、引き続き募金へのご協力をお願いいたします。

*3月18日現在、168名の方からの募金が寄せられています。金額、使途等、最終的なご報告は募金終了時にHPにて公表する予定です。

 現地時間3月18日にポーランド航空機でワルシャワを離れた降籏さんとその家族は、日本時間3月19日13時過ぎに成田空港に到着。PCR検査を受け、入国手続きを終えた家族4人が到着ゲートに姿を見せたのはなんと4時間後の17時でした。心臓病を患っている英捷さんの健康状態や2歳のひ孫ソフィアちゃんの体調が心配されましたが、3月5日にジトーミルの自宅を離れてから14日間にわたる長旅にもかかわらず、4人とも笑顔で出迎えの方々の前に現れました。
 兄 信捷さん(80歳 稚内在住)、妹 レイ子さん(70歳 旭川在住)とは11年ぶりの再会でしたが、この再会が、これまでの一時帰国以上の特別な意味を持っていたのはいうまでもありません。3人は涙とともにその奇跡の再会を喜び、その姿を見ていた私たちの胸もいっぱいになりました。その後、英捷さんは兄妹とともに成田空港に待ち構えていた報道関係者の取材に丁寧に対応してくださり、羽田のホテルへと移動。帰国第一夜を静かに過ごされました。英捷さんとともに到着した孫のヴラジスラワさん(18歳)と孫の妻インナさん(27歳)、そしてひ孫のソフィアちゃん(2歳)にとっては初めての日本。その晩は、レイ子さんとともに入ったホテルの大浴場に大満足でした。
 翌20日は羽田から旭川に移動。旭川空港では札幌から駆け付けた婦美子さん(72歳)、晴美さん(68歳)とも再会。兄妹5人がそろって、報道各社の取材に応じ、出迎えた親せきとともに記念写真に納まりました。その後、旭川市が用意してくださった小型バスでレイ子さん宅に移動。27日までの7日間、コロナウィルス感染拡大予防のための自宅待機に入っています。

 協会では、これまでの経緯を、成田空港到着前日にまとめ、希望する報道各社に提供しました。その内容を簡単に時系列にしたものをHPに掲載いたします。4人にはここに書ききれない多くの困難があったことと思います。特に18歳のヴラジスラワさん(3月16日ワルシャワで誕生日を迎えました!)とともに、幼児のソフィアちゃんを抱えながら、高齢の英捷さんを無事に日本に送り届けてくれたインナさんは、日本との連絡も必要な手続きもすべてになってくださり、どんなに大変だったことでしょうか。協会でも待機期間が終了し、直接お話を聞くことができるようになりましたら、あらためて皆さんにお会いしたいと思っています。


【ウクライナ脱出・救出経緯 2022年2月24日~3月18日  日本サハリン協会作成】

2月24日 ロシアによるウクライナ侵攻開始
  25日 協会会長の斎藤が、妹レイ子さんから4日前から英捷さんに電話が通じず心配との訴えを受け、現地の状況について確認を始める。
  28日 レイ子さんから電話が通じたとの連絡が入る。英捷さんは自宅のあるジトーミルも爆撃を受けるようになり、独り暮らしで不安だったため、ダーチャ(郊外の菜園)に避難していた。そこにはWi-Fiがないため、電話が通じなかったが、たまたま自宅に戻ったときにレイ子さんからの電話が通じたという。この話を聞き、協会は英捷さん救出に向けて動き出すことを決定。

3月 4日 英捷さんと同じジトーミルに住む孫のデニスさんが、日本政府の避難民受入れ表明のニュースを聞き、支援を求めるためリビウの日本大使館に行くが、ロシア語のできる職員がいなかったため、そのままジトーミルに戻った。このことを妹の婦美子さん経由で聞いた斎藤はデニスさんにジェシュフに開設された現地事務所の連絡先を伝える。早速、デニスさんが連絡事務所に電話したところ、「難民の受け入れはまだ行っていない。自力で脱出し、日本へ行く旅費も自費でまかなう必要がある」といわれ、旅費を工面できないという理由で祖父の脱出を諦めたと、デニスさんから婦美子さんに連絡が入った。   
     一方、協会では、ジェシュフの現地事務所にメールを入れ、脱出方法を相談。事務所担当官からは無料バスでポーランド国境を越え、大使館のあるワルシャワに直接移動し、ビザの発給を求めるようアドバイスされる。渡航費用を心配して脱出をあきらめたという英捷さんに対し、募金を集め渡航費用に充てることを決定。しかしデニスさんからは、心臓の悪い祖父が1人で動くことは無理であること、バスや電車が出ているとはいっても避難民が増えていて、なかなか乗れないとも聞く。もうしばらくこのまま様子を見ると、いう答えが返ってきた。日本の兄妹は連日、テレビに映し出されるウクライナ情勢を見ながら、心配で、夜も眠れない日々が続く。
     こうした中、協会から在ポーランド日本国大使館に対し、支援を求めるメールを送り、日本時間、5日未明、斎藤に返信の電話とメールが入る。大使館からは、ウクライナ国籍の「残留邦人」という複雑なケースのためにどのような方法があるかを検討しているとの返事。
  5日 爆撃がジトーミルにも迫ってきた。近くの燃料備蓄基地に爆弾が落ちたら大変なことになる。不安が募るなか、インナさんの父が車でワルシャワまで送ってくれることになり、6日の朝にジトーミルを脱出すると決意。ところが近くのアパートにも爆弾が落ちて身の危険を強く感じたため、翌朝まで待てず、5日午後3時に出発。英捷さんに付き添って、インナさんがひ孫のソフィアちゃんとともに避難、さらにリヴィウの大学に通っている孫のヴラジスラワさんがリヴィウで合流することになった。
     東京では連日、在ポーランド日本国大使館とのやりとりが続く。このやり取りの中で、英捷さんとヴラジスラワさんのパスポートの有効期間が切れていることが発覚。ワルシャワに着き次第、ウクライナ大使館でパスポートの更新をしなくてはビザが出ないとわかり、それが何日かかるかわからないといわれ、また不安に。しかし大使館からは身分さえ証明できればポーランドには入国できるので、ともかく来るようにといわれる。メールの最後に書かれた「降旗様が日本に渡航できないというような状況は起こらないと思いますので、ご安心下さいませ。」という一文に期待を寄せる。
     リビウでヴラジスラワさんが合流する。英捷さんは心臓の薬が切れると危険な状態になるという。日本の親族がこのことを心配し確認したところ、4月まではあるということで一安心する。
  6日 国境の手前まで来たところで車が故障し、修理するまで先へ進めなくなる。食料と水がなくなり、とりあえず水を手に入れるため、車を降りて探しに行った。こうした情報に日本の兄妹は心配心配を募らせていた。避難の途中で、英捷さんの携帯が壊れてしまう。さらに移動中は日本からの電波が届かないため、現地の情報はインナさんが夫のデニスさんに伝え、デニスさんが婦美子さんに伝え、婦美子さんが斎藤に伝えるという伝言ゲームのようになっていた。そのため東京の斎藤には現地の状況がよく伝わらずもどかしさが募る。
     こうした中、大使館にはパスポートがなくてもビザを出してくれるよう訴え、英捷さんのの戸籍や兄妹が書いた嘆願書などを送付。同時に協会HPやFB「日本サハリン未来プロジェクト」、あるいはTwitterなどで募金の呼びかけを始める。すぐにFBだけでも7000人のアクセスがあり、拡散されて大きな反響を集め、募金が集まってくる。
  7日 車が故障した場所が幸いにもカーポートのような場所だったため、週明け月曜日に修理をしてもらうことができ、避難を再開。しかし、国境が近づくにつれ、渋滞で車がなかなか進めななくなる。
     この日、外務省より斎藤に、パスポートと同様の効力を持つ「渡航証明書」の発給が可能になったとの連絡が入る。あとは無事、ポーランド国境を越えることができさえすれば日本に帰れることになった。さらに、厚生労働省からは、英捷さんについて残留邦人の一時帰国としての対応を検討しているとの連絡が入る。
  8日 ついにポーランド国境を越える。国境のジェシュフで一旦、宿泊し、翌朝ワルシャワを目指すことにする。
 大使館からは、パスポートの有効期限が切れている2人については、同等の効力を有する「渡航証明書」を発給するとメールが入る。協会からはすぐにビザ申請のための「身元保証書」を送信。また国境を越えたという連絡を受け、ワルシャワから成田への直行便を予約。支払はとりあえず募金から。
  9日 ワルシャワに到着。修道院に設置された宿泊所に入る。ウクライナ脱出が実現したことから協会HPを更新。
  10日 4人が在ポーランド日本大使館に行き、ビザ申請書一式を提出。
  11日 4人そろって、日本行きのビザを受け取る。ポーランド航空は 毎週金曜日に成田行きがあったため、大使館に対しては最速での出国の可能性にかけて、11日のビザの発給をお願いしていたが、実際に申請からわずか1日での発給に驚き、深く感謝する。しかし、日本行きの便は16日まで運航停止であることがわかり、やむなく18日の便を予約。2人のパスポートは有効ではなく、直行便なら「渡航証明書」問題は起きないが、第三国でトランジットエリアからでた場合は渡航不能になるという忠告を受け、そのリスクが不安なため、直行便の出る18日までの1週間をワルシャワの避難所で過ごすことにする。
PCR検査の予約も日本からの支払いできるようにし、全員分の結果がインナさんのスマホに届くよう設定。
  16日 ポーランド航空ワルシャワ発成田行きのeチケットが斎藤に届き、すぐにインナさんのスマホし転送。4人はついに文字通り「日本行きのチケット」を手にする。
  17日 現地でPCR検査を受ける。朝受けて、夕方結果が出るのをはらはらしながら待つ。結果は4人とも陰性。日本への避難に対する障害はすべて取り除かれた。
  18日 ポーランド航空LO079便でワルシャワを出発。5日にジトーミルを出てから13日目。ついに日本行きへの夢がかなった。
  19日 13時過ぎ、無事、成田空港に到着し、到着ロビーで待つ兄 降籏信捷さん、妹 畠山レイ子さんと11年ぶりの再会を果たす。

閉じる