ウクライナから緊急帰国の降籏英捷さん支援

3月19日ウクライナ・ジトーミルから避難した降籏英捷さんとその家族への
ご支援ありがとうございました


#降籏英捷さん(左から2番目)とご家族の皆さん(2022年3月31日稚内にて)

2022年3月9日版


【緊急募金のお願い】

樺太残留日本人のウクライナ脱出をご支援ください!

樺太残留日本人の「降籏英捷(ふりはたひでかつ)」さん(78)が、今、キエフ近郊ジトーミルから戦火を逃れてワルシャワに向かって脱出しようとしています。
樺太残留後、日本国籍を失った降籏さんは1954年に父母がソ連国籍を取得。その結果、子どもたちもソ連国籍になりました。1971年、仕事のために家族とともにウクライナに移住しましたが、ソ連崩壊後のウクライナ独立により、現在の国籍はウクライナとなっています。つまり英捷さんは「ウクライナ人」として日本への渡航申請しなくてはなりません。
しかし体調の問題などから2011年を最後に一時帰国をしてなかった英捷さんの国外パスポートの有効期限は切れていたのです。日本への渡航に必要なビザを申請するにはウクライナパスポートを更新する必要がありましたが、それは非常に困難な状況でした。
そこで日本サハリン協会では、英捷さんが樺太残留邦人であり、日本に戸籍も存在することを在ポーランド日本国大使館に伝え、査証発給に対する特段の配慮をお願いしておりました。その結果、当初求められていたワルシャワのウクライナ大使館でのパスポート更新手続きが事実上不可能となったことなどから、昨日3月8日、外務省ならびに日本大使館より、パスポートに代わる「渡航証明書」の発給が決定したとの連絡が入りました。
この措置により英捷さんはワルシャワに到着し、日本大使館に行くことが出来さえすれば、日本への渡航が可能になったというわけです。

8日の現地からの連絡によれば、5日にジトーミルを発った英捷さんはようやく国境付近までは到着したものの、多くのウクライナ人が国境を越えようと押し寄せているため前に進めない状況で、いつ国境を越えられるかわからないとのことでした。
高齢で心臓病の彼を支えるために、孫娘(17歳)、孫の妻(27歳)とその娘(2歳)の3人も共に行動しています。
ワルシャワまでは孫の妻INNAさんの父親が車で送ってくれています。しかし彼は、4人を無事に送り届けたあと、再び戦火のウクライナに戻ります。孫息子は祖国を守るため、妻子と別れてジトーミルで闘っています。
INNAさんの父親の勇気あるサポートのあとは、英捷さんの祖国である日本の私たちが支援を引き継がなければ、と考え、NPO法人日本サハリン協会ではとりあえず緊急の募金活動を開始しました。
募金の呼びかけ開始直後から多くの方の支援が届いています。ご協力ありがとうございます。引き続きよろしくお願いいたします。

【募金受付】

ゆうちょ銀行 振込口座 
【口座記号」00160-5 【口座番号】387409 「NPO法人日本サハリン協会」

または

三菱UFJ銀行 
代々木上原支店 普通 0078882 「特定非営利活動法人日本サハリン協会」

北海道に永住帰国している英捷さんの4人の兄妹は、英捷さんの身を案じて、連日、眠れぬ夜を過ごしています。
皆さまのご協力、よろしくお願いいたします。


2022年3月22日版


降籏英捷さん、無事、到着。

引き続きのご支援をお願いします

 ご支援ありがとうございました
降籏英捷さん、3月19日に無事、成田空港到着しました。
支援を呼び掛けて以来、多くの方々からの募金、
あるいは有形無形のご支援のおかげで、
降籏さん一家救出が実現しました。
心より感謝いたします。

なお募金につきましては、これまでウクライナから脱出するための渡航と親族のもとにたどり着くための費用として皆様に支援を呼びかけておりました。このため当初の計画では、協会は旭川の親族宅に到着した段階で募金を終了する予定でおりました。しかし、いざ日本に到着してみると、住むところも生活についても見通しが全く立たない状態であることがわかりました。現在(3月22日時点)で受けている公的支援は、英捷さんと介護人1名の一時帰国費用(渡航費・2週間分の滞在費)のみとなっています。すでに政府も関係自治体も、ウクライナ避難民に対しての支援については表明しており、検討を始めていますので、近いうちに公的支援が届くことを期待しております。しかしそれまでの当座の生活費の支援は必要と判断しました。皆様には、彼らの日本への避難を確実なものにするために、引き続き募金へのご協力をお願いいたします。

*3月18日現在、168名の方からの募金が寄せられています。金額、使途等、最終的なご報告は募金終了時にHPにて公表する予定です。

 現地時間3月18日にポーランド航空機でワルシャワを離れた降籏さんとその家族は、日本時間3月19日13時過ぎに成田空港に到着。PCR検査を受け、入国手続きを終えた家族4人が到着ゲートに姿を見せたのはなんと4時間後の17時でした。心臓病を患っている英捷さんの健康状態や2歳のひ孫ソフィアちゃんの体調が心配されましたが、3月5日にジトーミルの自宅を離れてから14日間にわたる長旅にもかかわらず、4人とも笑顔で出迎えの方々の前に現れました。
 兄 信捷さん(80歳 稚内在住)、妹 レイ子さん(70歳 旭川在住)とは11年ぶりの再会でしたが、この再会が、これまでの一時帰国以上の特別な意味を持っていたのはいうまでもありません。3人は涙とともにその奇跡の再会を喜び、その姿を見ていた私たちの胸もいっぱいになりました。その後、英捷さんは兄妹とともに成田空港に待ち構えていた報道関係者の取材に丁寧に対応してくださり、羽田のホテルへと移動。帰国第一夜を静かに過ごされました。英捷さんとともに到着した孫のヴラジスラワさん(18歳)と孫の妻インナさん(27歳)、そしてひ孫のソフィアちゃん(2歳)にとっては初めての日本。その晩は、レイ子さんとともに入ったホテルの大浴場に大満足でした。
 翌20日は羽田から旭川に移動。旭川空港では札幌から駆け付けた婦美子さん(72歳)、晴美さん(68歳)とも再会。兄妹5人がそろって、報道各社の取材に応じ、出迎えた親せきとともに記念写真に納まりました。その後、旭川市が用意してくださった小型バスでレイ子さん宅に移動。27日までの7日間、コロナウィルス感染拡大予防のための自宅待機に入っています。

 協会では、これまでの経緯を、成田空港到着前日にまとめ、希望する報道各社に提供しました。その内容を簡単に時系列にしたものをHPに掲載いたします。4人にはここに書ききれない多くの困難があったことと思います。特に18歳のヴラジスラワさん(3月16日ワルシャワで誕生日を迎えました!)とともに、幼児のソフィアちゃんを抱えながら、高齢の英捷さんを無事に日本に送り届けてくれたインナさんは、日本との連絡も必要な手続きもすべてになってくださり、どんなに大変だったことでしょうか。協会でも待機期間が終了し、直接お話を聞くことができるようになりましたら、あらためて皆さんにお会いしたいと思っています。


【ウクライナ脱出・救出経緯 2022年2月24日~3月18日  日本サハリン協会作成】

2月24日 ロシアによるウクライナ侵攻開始
  25日 協会会長の斎藤が、妹レイ子さんから4日前から英捷さんに電話が通じず心配との訴えを受け、現地の状況について確認を始める。
  28日 レイ子さんから電話が通じたとの連絡が入る。英捷さんは自宅のあるジトーミルも爆撃を受けるようになり、独り暮らしで不安だったため、ダーチャ(郊外の菜園)に避難していた。そこにはWi-Fiがないため、電話が通じなかったが、たまたま自宅に戻ったときにレイ子さんからの電話が通じたという。この話を聞き、協会は英捷さん救出に向けて動き出すことを決定。

3月 4日 英捷さんと同じジトーミルに住む孫のデニスさんが、日本政府の避難民受入れ表明のニュースを聞き、支援を求めるためリビウの日本大使館に行くが、ロシア語のできる職員がいなかったため、そのままジトーミルに戻った。このことを妹の婦美子さん経由で聞いた斎藤はデニスさんにジェシュフに開設された現地事務所の連絡先を伝える。早速、デニスさんが連絡事務所に電話したところ、「難民の受け入れはまだ行っていない。自力で脱出し、日本へ行く旅費も自費でまかなう必要がある」といわれ、旅費を工面できないという理由で祖父の脱出を諦めたと、デニスさんから婦美子さんに連絡が入った。   
     一方、協会では、ジェシュフの現地事務所にメールを入れ、脱出方法を相談。事務所担当官からは無料バスでポーランド国境を越え、大使館のあるワルシャワに直接移動し、ビザの発給を求めるようアドバイスされる。渡航費用を心配して脱出をあきらめたという英捷さんに対し、募金を集め渡航費用に充てることを決定。しかしデニスさんからは、心臓の悪い祖父が1人で動くことは無理であること、バスや電車が出ているとはいっても避難民が増えていて、なかなか乗れないとも聞く。もうしばらくこのまま様子を見ると、いう答えが返ってきた。日本の兄妹は連日、テレビに映し出されるウクライナ情勢を見ながら、心配で、夜も眠れない日々が続く。
     こうした中、協会から在ポーランド日本国大使館に対し、支援を求めるメールを送り、日本時間、5日未明、斎藤に返信の電話とメールが入る。大使館からは、ウクライナ国籍の「残留邦人」という複雑なケースのためにどのような方法があるかを検討しているとの返事。
  5日 爆撃がジトーミルにも迫ってきた。近くの燃料備蓄基地に爆弾が落ちたら大変なことになる。不安が募るなか、インナさんの父が車でワルシャワまで送ってくれることになり、6日の朝にジトーミルを脱出すると決意。ところが近くのアパートにも爆弾が落ちて身の危険を強く感じたため、翌朝まで待てず、5日午後3時に出発。英捷さんに付き添って、インナさんがひ孫のソフィアちゃんとともに避難、さらにリヴィウの大学に通っている孫のヴラジスラワさんがリヴィウで合流することになった。
     東京では連日、在ポーランド日本国大使館とのやりとりが続く。このやり取りの中で、英捷さんとヴラジスラワさんのパスポートの有効期間が切れていることが発覚。ワルシャワに着き次第、ウクライナ大使館でパスポートの更新をしなくてはビザが出ないとわかり、それが何日かかるかわからないといわれ、また不安に。しかし大使館からは身分さえ証明できればポーランドには入国できるので、ともかく来るようにといわれる。メールの最後に書かれた「降旗様が日本に渡航できないというような状況は起こらないと思いますので、ご安心下さいませ。」という一文に期待を寄せる。
     リビウでヴラジスラワさんが合流する。英捷さんは心臓の薬が切れると危険な状態になるという。日本の親族がこのことを心配し確認したところ、4月まではあるということで一安心する。
  6日 国境の手前まで来たところで車が故障し、修理するまで先へ進めなくなる。食料と水がなくなり、とりあえず水を手に入れるため、車を降りて探しに行った。こうした情報に日本の兄妹は心配心配を募らせていた。避難の途中で、英捷さんの携帯が壊れてしまう。さらに移動中は日本からの電波が届かないため、現地の情報はインナさんが夫のデニスさんに伝え、デニスさんが婦美子さんに伝え、婦美子さんが斎藤に伝えるという伝言ゲームのようになっていた。そのため東京の斎藤には現地の状況がよく伝わらずもどかしさが募る。
     こうした中、大使館にはパスポートがなくてもビザを出してくれるよう訴え、英捷さんのの戸籍や兄妹が書いた嘆願書などを送付。同時に協会HPやFB「日本サハリン未来プロジェクト」、あるいはTwitterなどで募金の呼びかけを始める。すぐにFBだけでも7000人のアクセスがあり、拡散されて大きな反響を集め、募金が集まってくる。
  7日 車が故障した場所が幸いにもカーポートのような場所だったため、週明け月曜日に修理をしてもらうことができ、避難を再開。しかし、国境が近づくにつれ、渋滞で車がなかなか進めななくなる。
     この日、外務省より斎藤に、パスポートと同様の効力を持つ「渡航証明書」の発給が可能になったとの連絡が入る。あとは無事、ポーランド国境を越えることができさえすれば日本に帰れることになった。さらに、厚生労働省からは、英捷さんについて残留邦人の一時帰国としての対応を検討しているとの連絡が入る。
  8日 ついにポーランド国境を越える。国境のジェシュフで一旦、宿泊し、翌朝ワルシャワを目指すことにする。
 大使館からは、パスポートの有効期限が切れている2人については、同等の効力を有する「渡航証明書」を発給するとメールが入る。協会からはすぐにビザ申請のための「身元保証書」を送信。また国境を越えたという連絡を受け、ワルシャワから成田への直行便を予約。支払はとりあえず募金から。
  9日 ワルシャワに到着。修道院に設置された宿泊所に入る。ウクライナ脱出が実現したことから協会HPを更新。
  10日 4人が在ポーランド日本大使館に行き、ビザ申請書一式を提出。
  11日 4人そろって、日本行きのビザを受け取る。ポーランド航空は 毎週金曜日に成田行きがあったため、大使館に対しては最速での出国の可能性にかけて、11日のビザの発給をお願いしていたが、実際に申請からわずか1日での発給に驚き、深く感謝する。しかし、日本行きの便は16日まで運航停止であることがわかり、やむなく18日の便を予約。2人のパスポートは有効ではなく、直行便なら「渡航証明書」問題は起きないが、第三国でトランジットエリアからでた場合は渡航不能になるという忠告を受け、そのリスクが不安なため、直行便の出る18日までの1週間をワルシャワの避難所で過ごすことにする。
PCR検査の予約も日本からの支払いできるようにし、全員分の結果がインナさんのスマホに届くよう設定。
  16日 ポーランド航空ワルシャワ発成田行きのeチケットが斎藤に届き、すぐにインナさんのスマホし転送。4人はついに文字通り「日本行きのチケット」を手にする。
  17日 現地でPCR検査を受ける。朝受けて、夕方結果が出るのをはらはらしながら待つ。結果は4人とも陰性。日本への避難に対する障害はすべて取り除かれた。
  18日 ポーランド航空LO079便でワルシャワを出発。5日にジトーミルを出てから13日目。ついに日本行きへの夢がかなった。
  19日 13時過ぎ、無事、成田空港に到着し、到着ロビーで待つ兄 降籏信捷さん、妹 畠山レイ子さんと11年ぶりの再会を果たす。


2022年7月14日版

たくさんの温かいご支援、ありがとうございました。

 ウクライナ在住の樺太残留日本人 降籏英捷さんとその家族の緊急避難に際しまして、多くの皆さまからの温かいご支援をいただき、誠にありがとうございました。これまでに延べ299名の方からの募金が寄せられましたが、その中には協会とは関係のない、私たちがお名前を存じていない方もたくさんいらっしゃいました。降籏さんは「祖国である日本に逃れることができれば、きっとみんなが助けてくれる」と思って日本への逃避行を決意したといっていました。そんな降籏さんの想いに多くの方が応えてくださったことに心から感謝しております。

 すでにご案内のとおり、去る3月6日、協会では、避難したいが渡航費がないという降籏さんからの訴えを受け、すぐに募金活動を開始しました。おかげさまで渡航費用を十分まかなえるだけの資金はあっという間に集まり、降籏さんとその家族4名はポーランド経由で3月19日に無事成田に到着。翌日は妹の住む旭川に入り、11年ぶりの兄妹再会を果たすことができました。この時点では、日本政府がウクライナからの避難民を受け入れると表明していたこともあり、降籏さんたちだけでなく、私たちも「日本にさえ来られれば大丈夫」と考えていたため、避難完了後に募金活動を終了する予定でした。ところが日本政府が最初に打ち出した支援策は、日本で仕事に就くことが許される1年間の「特定活動在留資格」。つまり、入国後の生活費は自分自身あるいは受入親族・知人が自力で賄わなくてはならないというものでした。高齢の英捷さん、2歳の娘を連れた孫息子の妻と18歳の孫娘、4人とも日本語は全く話せません。受入親族である妹も、永住帰国に係る国からの給付金等で生活している状態です。そこで私たちは予定を変更し、なんらかの金銭的な支援が届くようになるまでは募金活動を継続し、彼らの生活を支えることにしたのです。

 その後、北海道から道営住宅が無償提供、家財道具の多くは旭川市社会福祉協議会から貸与され、生活基盤を築くことができました。旭川市からも備蓄食料などの寄付やさまざまな場面での支援をうけましたし、ジャガイモの配布、食器台の寄贈、Wi-Fiルーター貸与、店内利用可能なポイントを付与したカード等、道内自治体や企業からのさまざまな支援も届きました。また東川町では降籏さんと孫の2人に無償で日本語学校併設の寮に入所して日本語を学ぶ機会を与えてくださいました。さらに日本語力が十分ではない受入親族に代わって、旭川市内でロシア語教師をしている方が、さまざまなシーンでの通訳やサポートをすべてボランティアで引き受けてくださっています。こうして多くの方々の支援のおかげで、降籏さんたちは今、元気に日本での生活を送っています。

 そしてようやく7月12日、待ちに待った日本財団支援金支給の通知が届きました。金額的にはささやかではありますが、とりあえず定期的に生活支援金が届くことになりましたので、この決定をもって正式に降籏さんへの募金活動を終了することいたしました。支援経緯や内容に関しましてはあらためてご報告申し上げますが、募金の際には皆さまの住所など個人情報の提供を求めませんでしたので、個別にお礼を申し上げることはできませんでした。このHPであらためてご報告とお礼に代えさせていただきますことをご了承ください。ありがとうございました。

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